自分のことが、好きになれない。



『あなたは、自分のことが好きですか?』

そう聞かれたら、即答で
「好きではありません。」と答える。

では、嫌いなのか?って言われたら、わからない。

自分のこと好きです!と堂々と言える人が、
一体、どれほど いるのか。正直、羨ましい。

どうして、こんな気持ちになるのか。
なぜ、自分を好きになれないか。

…実は、自分を嫌いじゃない可能性もあって。
自分を大切にしてあげたいからこそ、今のままでは嫌だからこそ、色々と考えて悩んでしまうこともあると思う。

内省すると、自分を嫌いじゃない自分に、気がつけることもあるように思う。
※内省とは:自分の心のはたらきや状態を知ること。心を内観する ともいう。反省という意味合いもあるが、このBLOGでは、ネガティブなモノではなく、自己観察や自己分析を指している。

内省の第一歩については、こちらの記事に書いてみた。


普段、自分は何を考えて何を感じて過ごしているかという、ものすごーく根っこの部分に、色んなものが隠されているように思う。

今回は、自分を嫌いな自分と向き合ってみる。

今、自分のベクトルは、どこに向かっているのか。


私は、なんだかんだ、他人の言動が気になったり、相手の眼に映る自分が気になったりする。

結構、潔癖症なんじゃないかっていうレベルで、なんでも、拾いまくってしまう。

本来は、ベクトルは自分に向けるで良いと思うのだけれども、、

ベクトルの向きには、利己的と利他的があって。
例えば、本当はそう思ってないのに相手に同調するとかは、相手にベクトルが向いているようで、実は、向いてるベクトルは利己的なのだと思う。


私は、相手の顔色を伺うし、自分がどう見られているかが、とても気になる。

それが、ずっと、相手に嫌な思いをさせたくないという気遣いだと思ってきたし、相手の気持ちに合わせることが良いことなのだと思ってきた。

第一印象は、いい子って思われるし、
自分は、正解を選べていると思ってた。

そういう人間関係構築も否定したいわけではないけれども、これが、いずれ自己犠牲へと変わっていくと厄介である。

相手に嫌な思いをさせたくないと思ってやってきた言動が、実は、自分が嫌われたくないだけで、いい子に思われたいだけだったことに、今は気がついている。

もちろん、相手には優しくありたいって思ってる。
それは一番の本心だけれども。
やっぱり、幼い頃から人の顔色を伺う癖は付いていたように思う。変に利口になったんだと思う。

相手に捧げれば捧げるほど、みんなが幸せになれるんだと思ってた。優しくしてもらうためにやってたわけではないけれども、優しくしてくれたりするから正解なんだと思ってた。

なぜ、相手に嫌な思いをさせたくないと思ってやってきたことが、自分にベクトルが向いていることになるのか、ということだけれども…

奥底では、誰にも嫌われたくないって、思ってた。

自分を犠牲にして相手の要望に応えようとしてた。
一見、そんな自分は、優しくてイイ人に思えるのだけれども、結局は、そこに少なからず、見返りの気持ちが存在している。

だから、これだけ犠牲を払ったんだから、あなたも私に優しくしてね?っていう意図が少なからず、あったように思う。

今になれば、そう思うっていうだけで、もちろん、自覚ありきで意識してやっていたわけではないけれども。

ただ、その自己犠牲からの見返りは、結局、報われ続けることってなくって。。
いくら自己犠牲をしたところで、全員に好かれることは無いし、全員と上手くやれるわけでもない。

都合良い人になった自分を、攻撃してきたり利用しようとしてくる人も、実際いる。

そんな自己犠牲を続けていくと、なにが起こるか。

自分を、嫌いになる。


いい子の自分しか受け入れてもらえないと思ってくる。ずっと、いい子ではいられないので、どこかに闇を抱えていくことになる。

それは、幼少期での親から感じたことかもしれないし、学生で友達関係を通して思い始めたかもしれないし、社会人になって それが自分の中の正義になっていったかもしれない。

誰かに嫌われたくないとか思う前に、まずは、自分のことを嫌わないようにしてあげたい。

大切なことは、まず、自分を否定しないこと。


今の自分を否定してしまうと、自分の感じること、見ているもの、受け取るもの、全てが否定的に見えてくる。

自分を否定的でみると、周りのことも否定的に見てしまう。自分の居心地も悪いし、人間関係も上手く構築していかないし、また自分を嫌いになっていく。

自分を否定しないためには、まず、ありのままの自分を知り、それを、そのまま受け入れる。

ありのままを知るには、内省(自己観察)をして、
そのままを受け入れるには、自分を許すこと。

まずは、自分が自分の1番の味方でありたい。

相手のために何かをするとかは、
自分を大切にした後でしか、出来ないのだから。