コミュニケーションの意味を、ちゃんと理解することの重要性。


対人関係において、避けては通れないもの、
それがコミュニケーション。

コミュニケーションに苦手意識があるというのは、
=生きにくさ。に直結しているのかなと感じる。

そもそも、私は閉鎖的な生活をしているので、コミュニケーションとはかけ離れた日常のように思うけれども、人と話すのは好きだ。

ここでいうコミュニケーションとは、
一体、何を指すのか。

それは、

相手に、いかに関心を持つか。

なのではないかな、と思う。

やっぱり、人は皆、一番は自分に関心があるのだと思うのだけれども、その中で、相手に関心を向けられるというのは、ステキなことだと思う。

よく、自分の話ばかりする人がいたり、人の話を遮って また喋り出す人がいたり、相手が喋り出すと聞いてるんだか聞いてないんだか…という人は、やはりいると思うのだけれども。

そういう人と数時間話したことが何度もあるが、やはり、ちょっと、会話っていう感じがなくて、ずっと頷き続けるのも、なかなか凄かったです。

3時間ずっと、私、うん。しか言ってない!みたいな。笑

でも、それで、少し鍛えられた感じがある。
私は、聞くのも好きなので、全然大丈夫ではあったけれど、その人に対して、そのまま外に出ていくとなると、生きにくそうだなって正直思った。

私は、その人の話は、なるべくちゃんと聴きたいと思って聞いているし、その人も元々は閉鎖的な生活を送っていたので、自分の気持ちを外に出せるようになったことは、すごく良いことだなと。

すごく良いことだなと思ったし、そのまま少しずつ元気になっていってくれたらっていう思いもあったから、むしろ、聞きまくろう!と思ってた。

その人は、人の話を聞くことが全然苦痛じゃないって言っていて、だから、自分もそうなってしまうのかもしれない。と自己分析をしていて。

ある時から、その人は外部に積極的に接していくのだけれども、その中で色んな人と顔を合わせることになったようで、ずっと自分の話ばかりする人が沢山いたみたい。

聞くのは嫌ではないとは言ったけれども、さすがに、こちら側には何にもわからないような話を、ひたすら ずっとされたり、こちらが理解できていないことがおかしいとされることに驚いたって言ってた。

その人は自覚なかったかもしれないけれども、その人と私が会話したときも、少しでも何か反応すると少し強い口調でかえってきたりしていたので、やはり、自分のことは見えにくいけれども、相手にされると良く理解できるのだなと思った。

その人が積極的に出た外部環境には、客観的な意見をくれる人も一緒にいるため、その人自身のことについても、少し一人で話しすぎるところがあるね。とフィードバックを受けたらしい。

その2つが、その人の意識変容の大きなキッカケになったみたい。

それからは、その人が一方的に何時間も話し続けるというのは、ゼロではないにしても、すごく減っているように思うし、会話が成立するようになってきた。

自分一人の空間で、自分のあらゆることを自覚するというのは、やはり難しかったりするので、そうやって外部と触れることで、自分に対しての気づきも沢山あるようだ。

その人のコミュニケーション能力は、格段に上がったように感じている。


お互いに関心を持ち合って、色んな話をして、相手の色んな好きなことや考えなどを知る。

基本的に、自分に関心を持ってくれる相手には、自分も関心を持つようになると思っている。

そうやって、お互いに関心を持って、お互いを知って、共通点があると嬉しくなって、違いがあっても興味を持って違いを受け入れて、色んな刺激を受けていくことができる。

コミュニケーションとは、自分が自分の話しをすることではなく、相手に関心を持って相手の話を聞き相手を知る、というものなのだと思う。

コミュニケーション能力は、生きていく上で、すごく大切なことだと思うし、自分の過ごしやすさにも直結すると思う。


私は、今は、家族としか ほとんど話す機会がないけれども、家族だと やはり関係性が近いからか、何も気にせず、お互い喋りたいように喋っている感じになる。

それでは、コミュニケーション能力を上げられないので、家族との会話でも意識的に、相手に関心を持ってみる。ということをやっていたりする。


相手に関心を持つ能力=コミュニケーション能力。


今後も、少しずつ、身につけていきたいなと思う。