結局やらない人は、できない理由を探す天才。


何かの願望があるのに、その手段も既にあるのに、それでもやらない人って、結局やらないままなのでしょうね。

できない理由を探す天才だな、と思います。
それか、本当は、そこまで本気でやりたくないんじゃないかと。

私も、その傾向がゼロではないのですが、やらない理由を永遠と挙げ続けることに天才的な人っているなって、すごく思うことがありまして。

何故、できないんでしょうか。
各々、生きている上での事情があったりするかもですが、そういうので身動き取りにくい気持ちになることも、生きていればあるかもしれませんが。

そもそも、やるつもりもないのに、やるやる詐欺して、構ってほしいっていう人を見たりすると、どうして、わざわざ、そんな息苦しい方向へと自ら進んでいくんだろう…って思ってしまいます。

そういう方が、こういう記事を読んでも、きっと、あなたには分からないですよ。とか、何も知らないくせに。とか、また、自分が常に正しいという理由を探す天才になるのだと思うのですが。

近い親戚に、適応障害や自閉症のグレーゾーンという診断を受けた方がいるのですが、その方は、周りのサポートもありながらですが、就労支援センターなどを積極的に利用し、5〜6年ぶりの社会復帰を果たす目前に居ます。

その方を見ていると思うのですが、身動きが取れない時って、本人が一番つらいんですよね。それを見守る周りも苦しく悲しいかもしれませんが、、やむぱり、本人にとっても予想外の人生な訳ですから、それは、もう、辛く苦しくもどかしい日々だったと思うんです。

当然、その方も、悩み苦しみ続けてきたわけですが、何故 前進することができたのかは、自分はこのままではいけない、このままでは嫌だ、変わりたい、もう一度 立ち上がりたい!と、強く決意したからなんですね。

ずっと、葛藤はしていたと思うんですよね。5〜6年って長いじゃないですか。その間、あまり好きなこともできずに、晴れない気持ちのままで過ごし、何のエネルギーも湧かない時期が大半だったはずで、そんな苦しみが伝わってくるわけですから、こちらも、それは心が痛むわけですね。

この方は、まあ、色々とその方の持つ特性といいますか、個性というのかな。ちょっと、そのまま社会に出るとやりにくく感じることもあるのかなって、正直 感じるのですが、、それでも、そこは今までの長い年月のブランクなのだろうと捉えることにして、こちらはサポートだけは出来るようにしつつも、信じて見守ることを選んだのです。

この方は、心の余裕はなかったかもしれませんが、構ってほしかったわけではないんですね。できない理由を探す天才でもないわけです。

心に優しさは持っているので、あとは、社会と触れ合う上で、色々と新たに学んでいけたら、その人の長所も光っていくのではないかなと。

この方の逆に位置する方っていうのは、変わる気もないのに行動する気もないのに、やれない理由はいくらでも天才的に思いつく人なのかなって思うのですが。

私は、そうなってしまう気持ちが理解できないわけではないので、否定したいわけではないのです。

ただ、何故、自らの首をそんなにも締め続けるのか、そこから一歩踏み出すだけで世界は全然変わって見えるのに、何故ずっと、そこに居続けているのか。

いつも好きで読ませていただく方のブログで、
『幸せ恐怖症』というテーマで記事がありました。

私は、まさに そのテーマの主さんに共感してしまったんですね。昔の自分を見てているような気分になって、まだ未だに、そこが改善されていない自分のことも同時に自覚してしまったので、、

こんな、どこかに向かって偉そうに、何かを言えるようなヤツではないんですけれども。。

やっぱり、やらない理由を探す天才の人って、きっと、幸せが怖いし、孤独だと思うんですよね、、

誰しも孤独だ!って昨日の記事に書きましたが、それは哲学的な話というか、突き詰めれば孤独ですよねっていう意味なので、、

この記事でいう孤独とは、また別のモノです。

ここでいう、それとは、、

自分が自分の一番の敵になってしまっている孤独のことです。


こんなの、孤独すぎますよね。。

最初から最後まで、どんな時も何があっても、自分と一緒にいるのは、紛れもなく この自分なのに。

自分が自分の敵になってしまうなんて、
こんな孤独が、ありますかね。

やらない理由を探す天才の方々を批判や否定をしたいわけではなくって、、私も わりとそっち側だった時期も沢山あるので。。

ただ、そこに居ては生きづらいはずなので、そろそろ、こちらに出てきてみては どうですか?ということを感じるだけでして。

親や、過去や、友達や、大人や社会など、そこに恨みを持っても、何も解決しないんですよね。

むしろ、その恨みの気持ちは、結局は自分のところへ返ってきてしまうんですよ。。


そんな、"セルフ往復ビンタ"みたいなことはせずに、 今は見えないかもしれないけれども、温かくて、明るい場所も、ほんの隣に、存在していたりするんですよね。

ただ、誰も、そういう人を引きずり、引っ張ってくることは、出来ないので、その人の足で、こっちに歩いてきて貰うしかないわけです。反対側から見守って手を伸ばして、歩いてきてくれるのを待つしかないわけです。

一人で歩くには、あまりにもハードルが高いだろうなと思いますが、一歩先に手を伸ばして待っている人はいると思うんです。


なんか、偉そうに喋ってしまいましたが、、

私の書きたかったことは、一つです。

わざわざ、苦痛を伴う方へ、なぜ行くの?
(やらない理由を探す天才は、もう卒業しないかな?)


というふうに、思った次第です。

(やはり、そういう人は、いろいろと、拗ねてしまっているのでしょうか..?)