何故、人は、スレ違うのか?


対人関係において、スレ違いはよくあることですね。

お互い、気分はいいものではないのに、事前に防ぐことができず、それが起こってしまう。


そもそも、取り合わないという選択肢もありますが、相手が、それでも分かり合いたいと思う場合だと、なんとか、理解するなり折り合いをつけるなりして、心のモヤモヤから、いち早く解放されたいですよね。


なぜ、スレ違いは起こってしまうのか。

これは、仮説ですが、一つは自身の持つ先入観なのかなと思うことがあります。

相手は、きっと自分をこう思っただろう。相手はこういう時にはきっとこういう言動を取るであろう。という気持ちです。これは、決めつけなのですが、それが事実になってしまっている。


スレ違いを避けることは難しいと思うので、そうなった時に、心の在り方が大事になるのではないかなと思っているわけです。


ここでいう、心の在り方とは何か。

素直なお互いの気持ちを伝え合って、聞き合うということです。

この時には、先入観は外して、理解の気持ちが大事なのだと思います。

ここで、先入観を持ったまま話し合っても、同じ繰り返しになるだけです。

相手はこう思っていたんだな、こちらの言葉をこう受け取っていたんだな、と把握して、それが自分の心と違うのであれば、それを伝える、伝えられた側も先入観を持たず、それをそのまま、そうだったんだなって受け止める。


これが、出来ないのであれば、お互いを理解する気持ちよりも、自分が受けた不快な気持ちにフォーカスしていて、相手の気持ちよりも自分の気持ちにだけ関心があるということだと思いますので、話し合いは平行線になって行くだけで、嫌な気持ちが継続されて行くだけのように思うわけです。


相手の人と分かり合いたければ、自分の悲しい気持ちも大事なのは分かりますが、相手が何故そうしたのか、把握しようという気持ちが閉じている状態では、どうしようもないです。


自分の気持ちを押さえつけるのは、それは自己犠牲になってしまうため、我慢はオススメしません。

あくまでも、理解し合うという心持ちで、相手と自分の認識のズレを把握し、すり合わせていくこと、また気持ちよく過ごしていけるようにしていくことが目的なので、我慢するのもさせるのも違います。


相手が分からず屋なこともあるかと思います。誤解が全然解けず、話が着地しそうにないこともあります。その時は、相手に委ねたりしないで、自分から歩み寄っていくこと。意地を張らないこと。譲った譲らない、勝った負けたなどをきにする人もいるように思うのですが、それは、意味のない対抗意識です。気分は晴れるどころか、ますますスレ違って、一つも良いことはないはずです。


相手を自分の価値観に寄せる、強制力を持つのではなく、分かり合うために話し合いをするわけですので、自分と違う感覚を持っていても、頭から否定するのは違いますので、歩み寄る気持ちを持つということです。


自分の気持ちも、相手の気持ちも、どちらが正解などは決めつけずに接していくこと。


相手と笑顔で過ごしたいという気持ちがあれば、それをお互いが望んでいる関係であれば、きっとお互いを尊重した話し合いや歩み寄りをしていけるのだと感じています。


そうやって向き合って、目の前の人との誤解が解けたり理解し合ったりして、また笑顔で過ごせるようになると良いですよね。


※勝ち負けに こだわって、譲れない精神のみの相手は、残念ながら..最初から、同じ土俵には立っていないのかもしれませんね。。