余力の使い方を間違えると、自己犠牲になる。

余力の使い方についてですが、その前に、余力の作り方を考える必要がある。

ここを間違えてしまうと、一気に自己犠牲に傾いてしまう。

余力とは、なんなのか。
なぜ、それが自己犠牲に繋がってしまうのか。

そういうことを書いていきたい。

↓自己犠牲については、こちらの記事にも書いた。


日々、過ごしていると、必ず確保しなくては生きていけないモノがあると思う。

一番わかりやすいものは、食事、睡眠。
これを省略していく過ごし方は、あまりにも危険である。

もちろん、置かれている状況において、ご飯や睡眠に当てる時間を確保しにくいこともあると思うが、無視してはならない項目である。

食事や睡眠の、お腹が空く、眠くなるとかは、生理現象の一つなので、限界がきたらご飯を食べるし、寝る。これは、きっと毎日やっていることであるため、今回は、食事や睡眠のことには、触れていない。
もちろん、大事な項目なので、また別の機会で触れていこうと思う。


ここでいう、余力の作り方と使い方、というのは、まずは、自分に注力することを最優先にすることの重要性ということ。

自分のことを差し置いてまで、人に尽くし切るには、必ず限界が来るはず。

自分の持つエネルギーには、限界がある。
その限界があるエネルギーを先に人のために使って、その余力で自分のことをしようとすると、破滅していくのではないかと感じる。

あくまでも、余力の使い方としては、まずは自分のことを それなりに、きちんとこなしている上で、そこで出た余力を自分以外のことに使うこと。

先に自分以外のことにエネルギーを使って、そこで出た余力を自分に使う、という余力の作り方をしてしまうと、最初は良いかもしれないが、結果的に人にエネルギーを使う前に自分が潰れる。

人にもエネルギーを使えないし、自分にもエネルギーを使えなくなる。

人にエネルギーを使いまくっているから、自分にはその余力で接さなければならない。

これが、余力の使い方を間違えると、自己犠牲に傾くという構図なのだろうと思う。

まずは、自分にエネルギーを向ける。
その上で余力を外へと向ける。

そうしなければ、ずっとは続かない。

外側を大切にする前に、自分を大切にする。
そうすれば、自分を大切にしている自分で、周りのことも余裕を持って、大切にしていける。

これは、あながち、間違えていないように思う。

私が、自分の事はさておき、周りにエネルギーを使うことが良いことだと思って過ごしていたら、それがずっとは続かなくて、途端に虚しくなったりしたことがある。

周りにエネルギーを使うことが自分のやりたいことだったはずなのに、なぜか、上手くいかない。

それは、知らず知らずのうちに、自分のエネルギーのキャパを超えてしまっていたことになる。

これは、自分の持つ、コップの大きさなのかもしれない。

たまに、コップに貯まる水の量を調整したり、コップの大きさを少しずつ拡大していくことが上手な人がいるが、そういう人でさえも、日常の中で自分のエネルギーを貯める時間は確保しているし、エネルギーの使い方やリセットの仕方を工夫して過ごしているように思う。

私の場合は、コップの水がジャブジャブと溢れているのにも関わらず、それを無視して、自分が嫌われたくない思いも奥底に持ちながら過ごしてしまったことに、要因があるように思う。

自分の中で我慢が溜まっていたり、嫌な気持ちをしているのに、自分が我慢すればいいと思って、いつか報われるだろう、なんて、そんな事も思いながら、いつのまにか、耐え続けることが目的になっていた。

そして、我慢をしている=頑張っている。というような感じにまで、なっていってしまったように思う。

でも、それって、きっと周りから見たら、だんだんと接しているうちに、余裕のないやつに見えるし、どこか悲壮感が漂っていたり、心落ち着いてない感じがあったり、辛そうな感じがあったり、そういうのが伝わっていってしまう気がする。

自分は良かれと思って頑張っているときに、周りからは哀れんだ目で見られているように感じてきて、同情の目を向けられているような気持ちになってきたり、なかなか我慢が実らなかったりしてくると、疲れてしまってくる。

結局、自分へのエネルギーやモチベーションというものが、誰かのために我慢して頑張って、それが少し報われたところに自分の価値を見出してしまうことに、すり替わってしまったのだと思う。

何かを成し遂げたい為に、その瞬間は踏ん張ったり、もちろん我慢や耐える事もあると思う。

でも、それは、自分がやりたいと思うことに向かう上で必要なことだと思ってやっているから、納得してやっているから続くのであって、自分のやりたいことが我慢することになってしまったら…それは、もう、目的が変わってしまっているのだと思う。

やはり、あくまでも、自分の気持ちを最優先に、自分の気持ちに向けるエネルギーの確保を最優先にすることがいい気がする。

もっとエネルギーが必要であれば、少しずつコップの大きさを拡大していく。工夫を凝らして、コップの容量を増やすか、水の量を調整する。

コップの大きさを拡大していくには、今よりも更に困難な状況に身を投じることが、最も近道なのだけれども…

それは、まず、自分のことを大切にしてきたという前提があってから取り組めることだと思うので、それよりも手前のところに居るのであれば、まずは、自分のためにエネルギーを使い、そこから出た余力で、周りと接していくことから始めていきたい。

自分のこともままならない中で、周りのために動き続けるのは、本末転倒のように思う。

やっぱり、自分を大切にしている人って本当に素敵で、自分のことを大切にしているという事は、周りのことも大切にする人なんだろうなって、私なら思う。

なので、まずは、自分のために自分のエネルギーを最優先で使ってあげる。そこから余力で周りのことを大切にしていく。

完全に主観になってしまうが、自己犠牲をしている人からは、少なからず、見返りのオーラが出ているように思うので、自己犠牲をして我慢しているわりに、人間関係が上手くなっていきにくい事の方が多いのではないかな、と思っている。

自分を大切にしている人は、人のことも大切にできる人だと思うし、嫌味なくギブできる人なので、そういう人は信頼も獲得していくのだろうなと感じる。

長い間、自己犠牲がいいことだと思っていたし、自分の持つエネルギーは自分のためではなく、最優先で周りに使うべき。という風に思ってきたが、どうやら、そうではないらしい。

自分の持つエネルギーは、まず自分に使う、
その余力を、人のために使う。

自己犠牲の中で、一人で戦っていては、
いつか、自分を見失い潰れてしまうのだと思う。



自分を大切にできない人は、
人のことも大切にできない。


人のことを大切にできていない人も、
また、自分を大切にできていない証。


これに尽きるのではないかなと思う。